■退院祝い

 それにしても、せっかくワインが出たのであるから、最初に乾杯がほしかった。
 わずらわしいながら、長年お付き合いした相棒(痔核)とのお別れであり、長期入院とのお別れ、そして入院仲間とのお別れである。

 乾杯のチャンスを伺っていたが、"間"もなかったので、それもできなかった。
 これでは、"ワイン"というせっかくの気配りの効果が活かされていない、と、せっかくのワインをもったいなく感じた。
 小道具を活かすも殺すも進行次第である。



 難しく言えば、儀式というものは、喪失感、寂しさや不安などの後ろ向きの気持ちを、前向きに変えるために設定される。
 この生活指導も一種の儀式である。

 退院者は、この手厚い安全圏から外へ出る不安を少なからず持っている。
 それを"自己管理してやっていこう"と前向きに変えていくためには、先ず「退院おめでとう!」という祝福が必要である。

 それが気持ちを明るくさせ、口も滑らかにさせる。
 けじめとして、前途を祝しての乾杯の演出があっても良かったと思う。

 是非、盛大な(?)乾杯をやりましょう。



 がらんとした屋上に立った。
 目の前に小さな森が見える。
 緑が目に優しく、セミの声が昔懐かしく、窓を開けると入ってくる風が身体に心地よかった。
 "癒し系"が流行る昨今であるが、本当に人を癒してくれるのは自然である。

 自然の風景の中で心地よい風に包まれたとき、自分は生かされている気がする。
 眺めているだけで落ち着いた。
 この病院にとって、この風景は価値あるものである。
 将来にわたって残してほしいと思った。



 "最後の晩餐"となった夕食後、ゆったりと風呂につかった。
 過ぎてしまえば、早いものである。

 入浴後、女性入院者が明日退院するわれわれ2名に対して、退院祝いをしてくれた。

 もう1名は気のいい年輩者で、酒好きで軽妙洒脱、入院生活を明るくしてくれたおじさんである。彼がいなくなると淋しくなろう。
 食堂に集まってささやかなパーティーを行った。
 裃を脱いだ連中なので面も話す内容もすっぴんである。

 ここで出会えば、最初からいい関係ができていくかもしれないなあ。

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9日目
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