・時代&社会の変化を俯瞰する ・業界&会社の変化を俯瞰する ・人間像の変化を俯瞰する |
前の節で、「自分に気づくための学び直しから、全てがスタートする」と書きました。 人間は「環境の動物」です。というよりも、生物は環境に適応して生きています。 『カイシャ環境の中で生き延びるために、そういう処世術を身につけた人間を島津は何人も見てきた。 処世術とは、生物界の言葉に置き換えれば環境適応能力だ。責めるわけにもいかない。』 (「あきらめの壁をぶち破った人々」より) 考え方や行動も、環境に支配されやすいものです。 自分がどういう環境の中で生きてきたのか、そして、その環境がどう変化しつつあるのか。 さらには、今後どのような方向へ向かうのか。それらのことを抑えておく必要があります。 |
私は39歳のときに、自分の棚卸しをしました。 その準備のため、3年ほど新聞記事の入力をしていました。自分の興味のあるテーマ別にパソコンに入力していくわけです。(ご参考→「忙中時間の作り方」) 私は社会の問題を見つめ、その問題の背景にある戦後の日本の在り方を見つめ、その環境の変化が組織や家庭や個人に与える影響を見つめました。 見つめる中で、"時代の影響"から我々も無縁ではなかったこと、つまり無自覚のうちに両親が時代の価値観を子どもに押し付けていたこと、そして私自身もまた、妻や子に押し付けていたことに気づきます。 この気づきは、家庭における夫としての自分、父親としての自分に大いに反省をうながし、両親の夫婦間の問題、両親と私の間の問題、嫁姑の問題、そして私と妻、私と子どもの過去の問題、夫々を精算していくきっかけになりました。 |
一方、これからの社会、業界及び会社の変化を予測する中で、会社に頼らず自分で生きる術を見い出さなくてはならないことを再確認しました。 では、自分が生きる術はどの方向にあるのか。 それを探るために、自分が何をしていた時に喜びを感じたか、充実していたかを思い出し、自分が学校という社会、会社という社会の中でどのような役割を果たしてきたのかを振り返りました。 私の役割は、相手に「それでいいんだよ」と言葉を与える役割でした。 ところが一方、それまでの40年間、感情を抑え、気持ちを表情に表さぬようにしつけられてきた中で、自分の気持ちに鈍感になるということは、人の気持ちにも鈍感になるということが分かったのです。 "気持ち"について学ぶ必要がある。 しかもそれは、相手を受け止めるという自分の役割をさらに深める道だ。 こうして、40歳になった私は“学び直し”への第一歩を踏み出すことになります。 |
もう一つ時代を俯瞰していて分かってきたことは、求められる人間像が変化しているということです。 工業化社会から情報化社会へ移行する中で、人間に求められる役割が変化しています。 心理学の応用の深まりとともに、経済学や組織論が対象とする人間モデルも変化します。 固定的な社会と流動的な社会では、何をチャンスと見、何をリスクと見るのか、まるで正反対になります。 当然、そこで必要とされる知性(知恵)も、これまでと異なるものが求められるわけです。 人間像が変化すれば、それをモデルとする経済学をはじめとする社会科学などの学問、法律、制度のあり方に至るまで全ての前提が狂ってきます。 新たな人間像に基づいた体制に変えていかなければ、ギクシャクするわけです。 これまで“是”としていたものを疑わなくてはならない時代に入っています。 これまで学んでいなかったことを学びましょう。 |
■俯瞰作業の副産物 3ヶ月間集中して書き起こした20万字に達する棚卸しは、様々な副産物を生み出しました。 会社への提言が生まれ、後の小説につながるものが生まれてきたのです。 人生、アッという間に流されていきます。 自分で自己を振り返る時期を決めておき、その時に、来し方を徹底して振り返ることが、次の人生への第一歩につながります。 |