ガ
イア
か
らの
自律


■“開発”の意味を問い直そう(続)

 前頁の概念群について確実に言える事は、2つあります。
1つは、人間社会のことしか考えていない概念であるということです。
1つは、人間疎外の概念を内包しているということです。

 矛盾しているので大変ですね(^^;)。この矛盾の克服が、『正・反・合』の方法論を生み出していきます。



 そもそも人間と自然を切り分けたところから疎外が始まっています。
 ヒトと動物は違う
 →大人と子供は違う(子は動物:未開)
 →西洋人とそれ以外は違う(それ以外は未開)
 →男と女は違う(女性は未開)
 →資本家と労働者は違う(労働者は未開)…

 常に、狭い意味での「理性」を用いているかどうかで優劣をつけながら、疎外は疎外を生む、いわゆる分断と階級の社会を作り上げていきます。

 しかし実態は生態系の一員でしかありませんから、疎外を埋める理屈や文化も編み出していきます。
 カウンターカルチャーもその一種でしょう。まぁ、「正・反・合」を繰り返さざるを得ないギクシャクした大変な文明です。

 ところで、マルクスも労働にしか価値を認めなかった点で西洋文明の枠組みの中にあります。
 資本主義と共産主義の違いは、「
私有」と「共有」のどちらが優れているかという方法論の違いでしかありませんでした。ライバルとして相撲をとることができたのは、「所有」(&キリスト教)という共通の土俵に立っていたからです(共通の価値観を持たないとライバルにはなりえません)。

 自然と共にあり、所有という概念を持たない
インディアンやブッシュマンやアイヌなどは、土俵に立つ必要がありません。(日本も昔は誰のものでもない土地がありましたが、今は鉄条網が張られ、空間から余裕がなくなりました。窮屈なことです)

 共産主義の崩壊は、所有の方法論の優劣に決着がついただけの問題ではなく、本質的には「所有」概念の上に立つ「
人類至上主義文明」の崩壊を示唆していたわけです。

 このまま土俵に上がるものがいなければ、「所有」概念を維持することができません。
 キリスト教の世界に敵はいなくなりました。
 そこで、アメリカが無理やり土俵に引っ張り上げたのがイスラムでした。

 ここは、「
一神教」という共通の土俵があります。
 そのため宗教戦争になってしまったのです。
 アメリカの目論見は、「イスラムの民主化」です。
 …こういう見方をすると、今どのように西洋文明を広げようとしているかがわかります。


 しかし、その考え方が地球を窒息に向かわせていることもわかると思います。
 先ず、新たな概念を打ち立てなければなりません。

 新たな概念を支える枠組みとしての理論や考え方は既に現れています。

「パラダイム論」「一般システム論」「エントロピー論」「相対性理論」などがそうです。
 複雑性、不確実性、カオス理論やフラクタル理論などもそうですが、最も重要なものは最初の4つだと思っています。これらの考え方が、心理学や社会学の中に広がっていき、考え方として定着すれば政治、経済の仕組みも変わるでしょう。

 というと、難しく聞こえるかもしれませんが、インディアンやブッシュマンやアイヌ、また昔の日本人などの「民族の知恵」に学べばすむことです。

(続く)

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