■「18歳軟禁少女」と「スーザン」と「少年A」
12月6日に報道された母親による18歳女性の軟禁事件に衝撃を受けられた方も多いと思う。
今回は急遽予定を変更して、この生々しい事件の裏側に交流分析の観点から迫ってみたい。
本稿は、市民メディア、インターネット新聞「JANJAN」に掲載されたものに追記修正したものである
(ちなみに、「18歳 軟禁」でGoogle検索するとトップに出てきます)。
事件は、11月1日、福岡市博多区の公園近くの路上で、はだしでいた女性を通行人が見つけ110番したことから発覚した。その女性は10月28日、勝手にテレビを見たとして母親に背中や腰を殴られて家を出、捜索願いも出されず、この寒空の下4日間も水だけで過ごした。
保護された女性は、身長120センチ、体重20数キロしかなかった。
ほぼ7歳児(小学校2年生)とみてよい。
捜査の結果、驚くべき事実が次々とわかってきた。
1、その女性は年齢が18歳であり、母親(40)から自宅に11年以上閉じ込められていて小中学校にも通っていないこと。
2、福岡市教委と学校は女性の存在を把握しており、月1回家庭訪問もし、何度も救うチャンスはあったにもかかわらず、結果的に放置し続けていたこと。
3、「市こども総合相談センター」も、平成13年9月に市教委から情報を得たが「緊急性や危険性が低いとの判断」から何もしなかったこと
ここには、今の日本を取り巻く硬直した状況が象徴的に現れているように思うが、ここではこの女性の身体に現れたサインの意味についてストロークとディスカウントの観点から取り上げてみたい。
交流分析を学んでいる方は、スーザンという女の子の記録映画「セカンド・チャンス」を見た方も多いだろう。
まもなく2歳になるスーザンという女の子が入院した時、体重は5ヶ月児、身長は10ヶ月児。
その上、歩くどころか這うこともカタコトをしゃべることさえもできなかった。
病院はあらゆる検査を行うが、これと言って異常は見つからない。
「何がこの子の発達を阻害しているのか?」―原因がわからず困惑した医者は、3週間もの間一度もスーザンに会いに来なかった両親に気づく。医者は両親を呼んで面会し、そしてついに病名をつけた。
『母性的愛情欠乏症候群』
医者は確信した。この子の成長を阻害させているのは機能の問題ではない。
「愛情不足」が原因だ!
病院はボランティアで看護士を募り、付きっきりで、なでたりさすったり、抱っこしたり話しかけたりという「ストローク」を与え始めた。ストロークとは、「その人の存在を認める働きかけ」のことである。
すると、最初は無表情で取り付くしまもなく看護士を敬遠していたスーザンだったが、太陽に当たって急速に溶けていく氷のように表情が解けていった。そして、乾燥状態の中、固い殻に覆われて成長を止めていたタネが、水を吸って見る見る芽吹くように驚くべき成長を遂げる。
わずか2ヶ月で身長は5センチも伸び、そして、一人で病院の廊下を歩き始めるところで映画は終わる。
この症例は、2つのことを教えてくれる。
1つは、「人は無視されると生きる意欲をなくす」ということ。
存在を軽視することを「ディスカウント」という。
ディスカウントセールでお馴染みの通り、人の価値を"値引いて"見るという意味でストロークとは対極の概念だ。
その最たる行為が無視であり、殺人である。スーザンは、存在を無視されていた。
もう1つは、「心身一如」であるということだ。
ディスカウント(軽視・無視)されて心に愛情という栄養が欠乏したとき体も成長しない。
これを「ストローク飢餓」という。ストロークという「心の食べ物」が欠乏すれば身体も成長しないのだ。
言い換えれば、正常な発育をしないことも、身体に現れた愛情欠乏のサインなのである。
私は、「少年A」を思い出した。
Aも身体が小さく貧弱であり、身体的サインが現れていた。
彼の場合、一見母親からは溺愛されていたように見える。しかし、Aは母親という『石垣』によってこの社会から隔離され、さらにその石垣の中でディスカウントされていた。
母親は外から少年Aの行為を解釈するばかりで、決してAの気持ちを聴こうとはしなかった。
気持ちを無視され、親の躾どおりロボットのように動かされる―つまり、日常的にディスカウントされていた。
そのため、Aは自分の気持ちを誰も知る人がいない「透明な存在」にならざるを得なかったのである。
絶対零度の孤独。その乾ききって干からびた心の空洞の中に生まれた"ストロークに飢えた鬼(餓鬼)"―それが「酒鬼薔薇」だった…。
私は、酒鬼薔薇が生まれたカラクリを詳細に分析し、そして同じ過ちを犯さぬよう、また自分が無意識にやっているかもしれないことに気づくきっかけとなるためにも、虐待の定義の中に「無意識裡の心理的ネグレクト」を入れるべきだと拙著『あなたの子どもを加害者にしないために』の中で提案した。
意味は、「無意識のうちになされる心理的放置・養育放棄」「心の食物であるストロークを与えないこと」。
行動としては、「相手の気持ちを聴こうとしないこと」である。
今回の事件で、母親はネグレクト(肉体的・物理的な養育放棄)に当たらないとされたが、「心の食物であるストローク」の観点から言えば、それを与えていない「心理的ネグレクト」ということができると思う。
私は、生後わずか3ヶ月で無表情になってしまった赤ちゃんを知っているが、この赤ちゃんは生まれながらに問題があったのであろうか。話を聞いてみると、その背景には怒る母親の存在があった。無表情になったのは、怒られないための自分を守る術だったのである。
この母親も、外に出さなかった理由を『発育の遅れ』があって恥ずかしかったと、子供のせいにしていた。
しかし、その前に、発育を遅らせる原因となった母親の心理的ネグレクトがあったのではないだろうか。
そして「ストローク飢餓」によってスーザンのように遅れたのではないか。
この女性が、もし凍えて野垂れ死にしていたら。
あるいは、ストローク飢餓に陥った少年Aが、自分の存在を認めさせるための命をかけた殺人「ゲーム」に走ってしまったように、この女性も力がついてきた時に何らかの事件を犯したかもしれないことを考えたら―ことは、10万円の罰金ではすまない。
「心理的ネグレクト」を続けると、広範に人を悲劇に巻き込む結果となることを心に銘記して欲しいと思う。
事件は、形になる前に人の心の中に生まれるのだ。
この女性に、スーザンと同じように『セカンド(第2の)チャンス』が与えられんことを祈りたい。
それは、ストローク(愛情)をふんだんに与えること。
次に、この女性の母親にストロークが与えられんことを祈りたい。
母親が救われなければ、子供は救われない。
そして、相次いでサインを出し続けるこの社会にセカンド・チャンスが与えられんことを祈りたい。
この事件の女性の父親同様『留守がちである』お父さん。
たまには早く帰って、お母さんの気持ちを聴き、そして子どもの様子をニコニコと黙ってみてあげて欲しい。
一人ひとり、できるところから始めよう。
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