3月は8件の出張がありました。週2日は地方に出向き、ご家族の元へ訪問していることになります。
いろいろな地域に行って感じることは、今や日本全国ところを問わず家族が崩壊しつつあることです。
子供が追いつめられています。
母親も追いつめられています。
そして、父親も追いつめられています。
言い換えると父親が追いつめられているから、家族も子どもも守れないのです。
子供は両親が回避してきた問題を身をもって突きつけています。
それに気づいた時、両親は自分の問題と闘い始めます。
私は、その自分との闘いを見守る役割です。
子供は身を挺して、親に生き方を変えることを迫っています。
どうぞ気づいて、子供との闘いではなく自分との闘いを始めて下さい。
さて、自分との闘いは自分の来し方を振り返ることです。
その際に「人生の基本的立場」が、どのように創られるのかを知っておくことはとても大切です。
今回は、そのお話。
我が子が生まれた夜、私は一人風呂の中で大泣きしました。
大仕事の後の妻の疲労の顔と、腕に抱いた赤ちゃんと目があったこと―感謝と喜びだったのだろうと思います。
同時期に生まれた病院で知り合った方の赤ちゃんも可愛く思えました。
しかし、オギャーとこの世に生まれてわずか90日後―2人は全く異なる表情を見せていました。
我が子は人をじっと観察します。
された方は思わずかまってしまい、すると我が子が笑います。自然と人が集まり大人がかまうといういい循環が続きました。
が、その子Bちゃんはまるで無表情。
あやそうとしても目に生気なく無感動なので取りつくしまもありません。自然と人が寄ってこなくなり孤独の中に置かれています。
祝福されてわずか3ヵ月後についたこの差。
一体何がこの差を生んだのか。私は気になりました。
Bちゃんのお母さんは、お漏らししただけで怒ったそうです。
生理現象で怒られるのですから理不尽です。
自分がやる(表現する)ことで怒られるわけですから、怒られないためにはなにもしないこと―外に関心を向けるどころか、外に自己表現が漏れないようエネルギーを内に向けなければなりません。それが、無表情となって現れます。辛いことです。
一方、我が子に接する時はいつも笑いかけました。
赤ちゃんにとってこの世は自分を受け入れてくれる場でした。
あるがままの自分が受け入れられているわけですから、自分のあり方に注意を払う必要はありません。興味の赴くままに外に対して積極的に働きかけていくわけです。
ここには既に、ライヒの言う「性格の鎧」、ユングの言う「内向、外交」の萌芽が見られる気がします。
わずか3ヶ月で、2人の赤ちゃんが学んだことは次の3つのことでした。
1、この世に対する認識(社会観、世界観、宇宙観の元) まだこの社会がどういうところかわかっていない赤ちゃん。我が子は、この世は自分を受け入れてくれるところだと感じました。Bちゃんは、この世は自分を受け入れてくれないところだと感じました。つまり、生後3ヵ月は、赤ちゃんが自分とこの世の関係を見極める時期なのです。
2、身の安全に対する認識(人生をスタートできるかできないか) 体を硬くして無表情で寝ているBちゃんの姿は、この世にまだ居場所がないことを示しています。Bちゃんは、この世に果たして自分が安心できる安全基地があるのだろうかという根源的な不安の中で生きていくことになります。終生安全基地を探して歩くことにもなりかねません。
我が子は、母親に対してアタッチメント(愛着)の形成ができています。
ハヴィーガストは、乳児が離乳、歩行、言語の獲得などの「発達課題」を乗り切るためには、探索行動に出るための安全基地となる母親とのアタッチメントが必要条件であるとしましたが、その安全基地が生まれながらに確保されているわけです。生まれてすぐに自分の人生をスタートできます。
3、自分に対する認識(性格、人生脚本の元) Bちゃんはありのままの自分ではいけない、自分を表現してはいけないという姿勢を身につけました。我が子はありのままの自分でよい、大いに自分を表現してよいという姿勢を身につけました。つまり、Bちゃんは「I,m not OK」、我が子は「I,m OK」という「人生の基本的立場」が決まったのです。
「人生の基本的立場」とは、ご存知の通り次の4つの立場のことを言います。
・互いを認める 「I,m OK. You,re OK.」
・人のせいにする 「I,m OK. You,re not OK.」
・自分はダメだと思う 「I,m not OK. You,re OK.」
・虚無的な 「I,m not OK. You,re not OK.」 |
2人の赤ちゃんにとって、なぜそうされるのか理由はわからないままに身につくのは、"自分が"OKなのかOKでないのかということです。その後自他の分化ができて後にYou(相手、社会)がOKかOKでないかという枝分かれがしていくのだと思います。
それらへの影響も含めて、上記3つの認識が終生生き方に影響することを考えると、生後3ヶ月間の重要性がよくよくわかると思います。
では、どうすればよいのでしょう。
「あなたの子どもを加害者にしないために」より抜書きしてみます。
『親は赤ちゃんをあやし、なにを言いたいのだろうと注意深く見守ります。この時、親は赤ちゃんの気持ちを「聴く」訓練をしているのです。言い換えれば、赤ちゃんによって、ありがたくもカウンセラーとしての訓練を受けていると言ってもよいでしょう。』
『そして、この様子を見る過程で、赤ちゃんが固有の欲求を持っていることに気づきます。自分の分身ではなく、自分と異なる一人の人間として認めていくことができるようになるわけです。母親が子離れをする第一歩が生まれた直後から始まっていることがわかると思います。』 |
そう、赤ちゃんの気持ちを「聴く」ことです。
「聴く」という行為には、相手を一人の人間として認めること、及び相手を尊重すること、の2つの意味が入っています。そのため、聴く行為が「プラスのストローク」の最高のものの一つに挙げられているのだと思います。
そして、赤ちゃんと気持ちが通じ合ったときに、喜びと共に信頼関係ができあがります。
それがなされたときに、赤ちゃんは人間およびこの世との基本的信頼関係を築くことができるわけです。
つまり、早ければ生後3ヶ月で「I,m OK. You,re OK.」という基本姿勢ができると言っても良いでしょう。
どの人も「I,m OK. You,re OK.」が達成されている世の中―言い換えれば、お互いがその人のありのままを認めあっている世の中、それが「基本的人権」が守られている世の中ではないでしょうか。
苛め、虐待、DV、パワハラ、ドクハラ、セクハラ、モラハラ…子どもから大人の世界まで、一言でくくれば「人権侵害」が蔓延しています。
しかし、人権は「侵すことのできない永久の権利」だと憲法11条を"説いて教える"ものではありません。
"聴く"ことによって自分は尊重されてるんだと感じさせるものなのです。
自分が尊重されたときにはじめて、人を尊重するとはどういうことかが分ります。
というわけで、次の言葉で締めくくらせていただきます。
「聴く」ことから、人生をスタートさせよう!
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