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 HOME>メディア>「PAC21」2006.07掲載記事

■安全基地と危険基地

前回、わずか生後3ヶ月で「人生の基本的立場」が決まってしまうことを書きました。
「性格の鎧」(ライヒ)エネルギーの向け方の癖―「内向、外交」(ユング)の萌芽も生まれた直後からの親とのかかわりにある可能性も示唆しました。

その後次々と「発達課題」が立ち現れてきますが、それを乗り切るためには「安全基地」が必要(ハヴィガースト)です。この世に生み出されたばかりの赤ちゃんにとって、唯一の安全基地は親です。その親との間に信頼関係を築くことができなければ、発達課題を乗り越えるに当たって困難が予想されるだけではなく、立ち向かえずに引きこもってしまうことも充分に考えられます。

今回は、親の果たすべき役割について考えてみましょう。




子どもが小さい頃、車で5分ほどのところに自然公園がありました。
先ずは広い公園のどこに居を占めるのか探します。
シートを敷き、よっこらしょと荷物を置いて拠点ができると園内探索に出かけます。
何回か行く内に、荷物を置くおおよその場所(拠点)が決まってきます。また、園内の様子も分ってきます。
するとそのうち、もうゲートを入ると親をほったらかしにして一目散に駆け出していくようになりました。「勝手知ったる庭」になったのです。

最初は親という安全基地しかありませんでした。
この安全基地は移動しますから、子は親にくっついて歩きます。

次に、荷物置き場が安全基地になりました。
何かあれば、そこに戻れば親が迎えてくれますので、その安心を元に親から離れるようになります。

そしてついに、公園全体が安全基地になりました。
公園全体が怖いもののない自分の空間となったのです。ゲートを入ると同時に親を見捨てて(笑)振り向きもせず走っていくその姿は、完全に親離れしています。




さて、前回の事例の中で、Bちゃんは自分を表現しないためにエネルギーを使わざるを得ませんでした。
我が子は自分のあり方に気を使う必要はなく積極的に外と関わろうとしました。
これは、生まれ持った性格というよりも親との関係が生み出した結果でしたね。

「積極的になれ」と言っても積極的になれるわけではありません。
「外に関心を向けろ」と言っても向けられません。
子どもが引っ込み思案になるのは、親である自分自身が子どもの安全基地になっていないからです。

ハヴィガーストが言うように、自分が安心できる居場所(安全基地)があることが、探索行動に向かうための「必要条件」なのです。

(会社でも「自発的にやれ」と"命令"する矛盾がまま見られます。命令されてやったことは自発ではありませんよね。私が組織改革を成すことができたのはプロジェクトメンバーが自発的になったからでした。それは、彼らが私を安全基地と確信したからこそ自発的になったのです)




ところで、私の所へ相談に来られる親御さんは、次のように訴えてきます。
「子どもが、しがみついて離れようとしないんです」
「子どもが、ウロウロと落ち着きがないんです」
「子どもが、家に寄り付かないんです」
「子どもが、引きこもって家族とも口を聞こうとしないんです」

このように「子どもが」問題だと、子どもを主語にしてその問題行動を語り始めます。
これを次のように文を変えてみましょう。

<親のあり方>

「安全基地」に不安があれば、
「安全基地」がなければ、
「危険基地」ならば、
「危険基地」内で、
<子どもの様子(問題行動)>

子どもは、しがみつこうとする
子どもは、落ち着きなくウロウロと捜す
子どもは、脱出する(逃げ出す)
子どもは、自分を守るために内に向かう(殻にこもる)

いかがでしょうか。
隠れていた<条件文>を明示してみると、子どもの行動がしごく当然であることがわかりますよね。
子どもを変えるためには、この"条件"の部分を変えなくてはならないわけです。
条件をそのままにして、その条件の結果現れている子どもの行動を変えることがムリなことがよくわかると思います。

つまり、本当の主語は「親」。
子どもの問題は「親」の問題なのです。





実際、小2の女の子が学校に行きたがらなくなって毎朝手こずっている、と相談に来られたお母さんがいらっしゃいました。私は、お母さんの緊張ぶりが気になりました。お話を伺うとご主人が休日も仕事三昧で、話し相手にもなっていないようです。この子を育てるのは自分しかいない。病気にもなっていられない…閉塞状況の中で、お母さん自身が追いつめられていました。

子どもは親の状況に敏感です。
何しろ唯一の安全基地ですから。
その安全基地が不安だ。心許ない。こうなると女の子にとっては学校など二の次です。
安全基地が心配でそばにいないと不安でたまらないのです。

…お母さんは、自分自身が精神的に追いつめられていていることに気づかれました。
子どもが学校に行きたがらないのではなく、自分が心配をかけさせていることが分かりました。

そこで、ご主人に対して悲鳴を上げるように言いました(一般に男性はこのようなことに関して鈍感ですから悲鳴が上がるまで気づきません)。そして、きちんと窮状を訴え要求をすること(これが大人の対応です)

また、最低でも月に1回(できれば週1回)は母娘の話を聞く無礼講の日をもうけること。
男性は意味ある時間構造化をしたがりますから、ファミレスなんかを活用するといいですね。
その場で一定時間過ごすということになると夫も腹をくくりますから。
そこで思いの丈をぶちまけ、「今日は話を聞いてくれてありがとう!」ということになると夫も嬉しいはずです。

これは、社会の基盤を成す家族を支える父親としての義務ですから、堂々と要求しましょう。
…というわけで、そのご家族は実行し、お子さんの登校拒否はなくなりました。




さて、子どもの問題行動をなくすためには、親が安全基地である必要があることがわかりました。
では安全基地とは一体どういうものでしょう。

公園における荷物置き場の機能を見てみましょう。
@転んで擦りむいたときに、帰ってきて手当をしてもらいます。
Aケンカして泣いたときも、帰ってきて話を聞いてもらいます。
Bまた、疲れたときは、そこでゴロンと横になってだらけます。

@Aでは、次のようにストロークを惜しみなくもらいますよね。
@肯定の肉体的ストローク:なでる、さする、抱きしめる、おぶる、手当、指圧…
A肯定の心理的ストローク:聴く、うなずく、目を見る、微笑む、褒める、信頼する…



@Aは「癒し」の機能
Bは「回復」の機能です。


つまり、心身が傷ついたときに安心して傷を癒すことができ、Bで、ありのままの自分に戻って回復できるからこそ、再び外に打って出ることができるのです。
逆に、そういう安全基地がなければ傷を負うことが怖くて外には出られません。


つまり、「安全基地」とは「癒しと回復」の場なのです。




しかし、家族カウンセリングをしていると、日本の家族から、何よりも大事なこの2つの家族機能が失われていることが分かります。
この2つに変わってのさばっているのが、しつけや教育です。
子どもに厳しく迫り追い立てる前に、家庭では弱みを見せグータラしてもよいこと。
そして、それらが何より力強く外に出て行くための支えとなることをご理解いただければと思います。
というわけで、次の言葉で締めくくらせていただきます。


家庭は「癒し」と「回復」の場。

―温かい家庭を作りましょう!




ご参考「子育て心理学 第3部家族機能編」




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