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 HOME>メディア>「PAC21」2006.11掲載記事

■小6女児が大人に問うたもの

前回「子をのびのび"させる"」「社員を活性化"させる"」ためにはどうすればよいかという方法(ノウハウ)論が多く、それが、「Doing Parent(働きかける親)」や「Doing Manager(やらせる管理職)」を大量に生み出し、その管理のしすぎが子どもや社員をつぶしていると書きました。

一方で、私が安全基地としてBeing(存在)し、「聴く」という最高のストロークをメンバーに送ったためにメンバーが自由闊達な議論という「探索行動」に向かうことができ、メンバーが主体的に動いたために組織改革のプロジェクトが成功したとお話ししました。

そして大切なことは「How to do」ではなく「How to Be(どのように存在するか)」だと書きました。
おりしも、特に子どもへの対応において「Do」と「Be」を考えさせることが3件ありましたので、引き続き今私たち大人が問われていることについて書かせていただきます。

9月14日の新聞で小学生の「校内暴力」が過去最多となったことが報じられました。
20日テレビ東京の番組で「家庭内暴力」を取り上げ、コメンテーターとして解説をさせていただきました。
10月2日には、滝川市でいじめを苦にした小6女児が教室で首つり自殺をしたことが報じられました。
それぞれについて見てみましょう。





校内暴力が増えている原因については、
家庭では父母の力がなく、大人と子供の境界もできていないことによるしつけ不足。
学校では教師の力がなく、文部省の指針と家族からの突き上げにより怒ることができないことによるしつけ不足。
結論は、保育園や幼稚園の頃からしつけをして(Do)、暴力に対しては不寛容(ゼロトレランス)で対応せよ(Do)、という論調が多かったように思います。

しかし、私が見ている実態は真逆です。
今の子供たちは、生まれた直後からしつけと教育の競争の中にたたき込まれています。
家も社会も監獄のようで息苦しいからイライラとなって荒れているわけで、暴れると管理社会から罰を受けることになれば救われません。
また、そのスケープゴートへの罰を目の当たりにする子供達も去勢された子羊となってしまうわけで救われません。



家庭内暴力の再現ドラマは、家で大きな音を立てたりゲームばかりするようになった子供に親が怒ったり注意したりする(Do)中で、子供の反発が激しくなって暴力まで振るうようになり、最後は手に負えなくなって施設送りになった事例でした。先生も含めて大人達の対応は一言で言うと「言うことを聞け」という姿勢であり、結局、言うことをきかないから外に出したという、ある意味極めてシンプルな事例です(現象は大変ですが)。
重要なことは、その子供に関わる大人の誰一人として、彼の気持ちを聴こうとしなかったという事実です。



滝川市の小6女児が長年にわたるいじめを苦に教室で首をつって自殺した事件では、担任教諭は女児から相談を受けていましたが、指導(Do)で解決したと市教委は説明し、いじめを否定しました。
何よりも真実を知っているのは当事者である子供たちです。
しかし、真実は隠蔽できることを、「学校」が、そして教育委を巻き込んだ「社会」が子供たちに教えてしまいました。
こうして長いものには巻かれろという風潮が静かに広がっていくことになります。

大人達は子供や若者の無気力をまるで他人事のように嘆きます。
しかし、無力感を植え付け、無気力にさせているのは、他ならぬ我々大人ではないでしょうか。
大人一人一人の責任ない行動が、子供たちから夢や社会に対する希望を失わせているのではないでしょうか。

この3件から大人が子供たちに学ばせたこと、失わせたものをしばし振り返ってみてください。




では、どうすればよかったのでしょうか。
先ず、「ムカツクがキレるに変わるメカニズム」(『あなたの子どもを加害者にしないために』より)を知っておいてください。

心の中に感情が湧いてくるコップがあるとします。
「日常的に継続するちょっとした嫌なこと」(デイリーハッスルズ)があると、日々「いらつく、むかつく、うっとうしい」思いが湧いてきます。 気持ちはその時々の自分そのものですから捨てることはできません。誰かきちんと受け止めてくれる人がいて初めて吐き出すことができるわけです。そのため、受け止めてくれる人がいなければ、発散できない不快な気持ちが日々心のコップの中に溜まっていくことになります。

この心のコップに感情が溜まれば溜まるほど、心の余裕がなくなって息苦しくなってきます。
イライラしたり、寝つけなかったり、自律神経のリズムが狂って冷えたりほてったり、頭痛や胃痛に悩まされたりと、最初は体の不調となって現れます。
そして、表面張力でぎりぎり溢れるのを止めているような緊張状況の中で日常を過ごすようになると、ほんのちょっとしたことでカッとなったり気持ちが波打ったり…。そこへ一滴ポタッとしずくが落ちてきたとします。すると、表面張力が切れてブワッと一挙に感情があふれ出す−これが、「キレた」という状態です。

そして、キレたときはため込んでいた感情が爆発的に溢れてくるので、その感情の津波に飲み込まれて自分をコントロールできません。なぜああいうことをしたかわからない、頭が真っ白だった、というのは、その辺のことを表しています。
マスコミは原因をその直前の出来事(一滴)に求めますが、それはあまり意味がありません。その出来事は単なるきっかけに過ぎないからです。そこまでストレスを溜めてきた日常的環境を探る必要があります。




さて、再現ドラマの背景にも、小2女児自殺の背景にもいじめがありました。
いじめとは「存在(Be)が気にくわない」という関係性の問題であって、「こうする(Do)といい」という方法論の問題ではありません。しかし、ノウハウやスキルなど「する(Do)」の問題に置き換えて対処しようとする処世術が身についてしまっている大人は指導をしたがります
そして「Do」を教える大人は、教えた後は本人の問題(自己責任)にすることにより、そこで見捨てています。

あるいは逆に、先生が「いじめについて考えましょう」などとやったり、親が怒鳴り込んだりしたら、ますます事態は悪化することを子どもは知っています。だから、話してすぐに動いてしまうような短慮な先生や親であれば、相談することもできずに一人で抱え込むことになってしまうのです。

つまり、大人が「Do」を教えて終わりにしたり、大人が問題を預かってしまったりすることは、いずれも子どもをますます追い込んでしまう結果になるということです。




なんだか、ますます打つ手がなくなりましたね。
「Do」しか考えられない大人は、ここで「じゃあどうすればいいんだ!」とキレてしまいます(笑)。


そこで心のコップのメカニズムを思い出してください。
気持ちはその時々の自分そのものですから、誰かきちんと受け止めてくれる人がいて初めて吐き出すことができるのでした。そして、気持ちを吐き出すと軽くなりってスッキリし、気持ちの余裕ができて冷静になり活力が湧いてきます。すると、自分で立ち向かうことができるのです。

つまり、大人がああしろこうしろという必要はない。
ただ、気持ちを受け止めてくれるだけでありがたいのです。


以前、『生後3ヶ月で決まる4つの人生』の中で、『聴く行為が「プラスのストローク」の最高のものの一つ』と書きました。そして、『「聴く」ことから、人生をスタートさせよう!』と締めくくりました。

そういう姿勢で親が接していたら、子供は家で気持ちを受け止めてもらって自分を取り戻し、いじめに立ち向かっていったはずです。

大切なことは、大人の方から子供に何かをしてあげる(Do)ことではないのです。
自分が「支える存在(Be)」として子どもを見守り続けることなのです。

何か相談したいことがあったらいつでも相談に乗るよ、という姿勢を示し、あとは子供の方からやってくるのを待つことです。小6女児の周囲にも、担任や親、保健室の先生や部活の顧問など誰でもよい。たった一人でよいから、気持ちを受け止めてくれる大人がいればと悔やまれます。

7通もの遺書は、大人のあり方(Be)を問うているのではないでしょうか。





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