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sodan@jiritusien.com
 HOME>メディア>「PAC21」20017.03掲載記事

■「短大生遺体切断事件」が教えること

正月気分の日本を吹き飛ばし、波乱の亥年を暗示する不気味な幕開けとなった「短大生遺体切断事件」。
この事件を「人生脚本」の観点から検証してみたいと思います。
尚、新聞、雑誌等で知り得た範囲から想定して書いておりますことをご了承ください。
書く目的は、似たようなケースをカウンセリングすることが多々あり、同じように苦しまれているご家族が沢山いることが十分に推測されるからです。
ご自身を振り返る事例としてお読みいただければ幸いです。


■事件概要
妻(57)は夫の実家の歯医者を経営し、夫(62)は駅ビルの歯科クリニックを経営する歯科医夫婦。
長男(23)は両親の出身校、日大歯学部の5年。勇貴容疑者(21)は、同学部を目指して3浪中。
殺された亜澄さん(20)は短大に通っていました。

昨年末、母親と長男は30日に帰省し、亜澄さんは外出中の父親と31日に帰省。
次男勇貴は予備校の合宿に参加するため居残りということになります。
母親と長男が出てすぐ2人きりになった家の中で、亜澄さんの生活態度について口論となり、怒った勇貴容疑者は亜澄さんを後ろから木刀で殴ります。弱った亜澄さんとさらに1時間ほど話しをする中で「勇君は『勉強しないから成績が悪い』というけど、夢がないね」「歯科医になるのは人のまねだ」と言われてカッとなり絞殺。
その後、死体をバラバラにして隠し、父親はその日の夜帰宅しますが気づかず、翌日勇貴容疑者を車で予備校まで送ってそのまま一人で帰省しています。両親と長男の3人が帰宅したのが1月2日。翌3日の夜、母親が異臭に気づいて3階の部屋で袋詰めの遺体を発見。勇貴容疑者は4日に逮捕されるまで、受験勉強に取り組んでいました…。

これが異様な事件の概要です。


■母親の人生の目的
勇貴容疑者や亜澄さんが別の家庭に生まれていれば、このような事件は起きていなかったでしょう。
つまり、家庭内で起きたこの事件を生み出したのは、「武藤家という環境」にあるということです。
人に最も影響を及ぼす環境は「人」です。特に、この世に無垢な姿で生まれてきた赤ちゃんにとって親の影響は絶大なものがあります。
小柳ルミ子の母親が、我が子を芸能人にすることを人生の目標として娘をその通りに育て上げたように、
「少年A」の父親が「騙すな」ということを言い続けて、少年Aが「騙すこと」を命よりも上のタブーにおいてしまったように、親の価値観は無垢な子供にすり込まれていきます。
この時子供を支配するのは、強い意志を持っている親なのです。

では、武藤家を強い意志で支配していたのは誰でしょうか。
私は、この母親の実家が、「祖父の死後に(歯医者を)閉業」【週刊文春1/18号】したという記事を読んで、もしかするとと思いました。 私も、医者を家業としていた家を幾つか知っていますが、同じ地域の中にライバルはいるものであり近所の噂の対象になるものです。そういう中、落ちぶれていく家に育つ子供は、親次第でもありますが"お家復興"の意を受け継ぐことが多いのです。

この母親は一度、同学部出身の男性と結婚式を挙げながら披露宴離婚となっています。「新婦のきつい性格に耐えられなくなり、式の当日、逃げ出した」【週刊現代1/27号】とのことです。そして、再婚相手に選んだのが今の実家を持っていたやはり同学部出身の夫でした。
ここに、なんとしても歯科医再興という母親の執念が感じられるのです。

仮にこの母親の人生の目的を「お家(歯科医)再興」としてみましょう。
本来、「家」は生活のための「器」であり、「仕事」は生活のための「手段」です。
大切なものは家族との「幸せな生活」であり、その生活を支えるために家(器)と仕事(手段)があります。

ところが、開業医や教師など「家業」とでも呼べるような仕事を持つ家では、家業が器と手段を兼ね備えますので、得てして家業を守ることが目的となり、その目的を達成するために生活が従属するようになります。目的と手段が転倒してしまうわけです。

「お家再興」を人生の目的とした場合、先ず自らがその目的達成のための手足(手段)となります。
自分の気持ちよりもなすべき事を優先する生き方になるわけです。自分自身が家を支えるための「道具」ですから、自分に関わる人間はすべて無意識のうちに「道具」にしてしまいます。

先ず、自分の人生の舞台に立つことのできる夫を見つけます。
それは親が開業医で日大歯学部というブランドを持っていなければなりません。2人目の夫は、そのお眼鏡にかないました。 その上、その夫の父親は、「"東京地検嘱託医"なんて看板がかかっていたせいか、威張っている歯医者だった」【週間女性1/30号】そうです。そういう権威主義的な父親の下では、恐らく従順な人間として夫は育ったのではないでしょうか。ここに夫婦ともに同じ価値観を共有し、CPの強い母親とACの父親という妻主導の最強カップルが生まれました。こうして夫は、お家再興の道具立ての1つとして妻の人生の舞台に登場します。


■夢にすがらざるを得ない者
次は、子供です。
生まれてきた子供は、最初から強制的に母親の人生の舞台に登場させられることになります。

両親は、実家の歯科医院は長男、歯科クリニックは次男に継がせることを計画しました。
近所の子供たちとは遊ばせず、「制服を着た子供たちを奥さんがベンツで送迎していました。バイオリンも習わせていました」【週間女性1/30号】という生活が始まります。

そして亜澄さんが幼稚園に入る頃から長男は亜澄さんをいじめるようになり、次男も亜澄さんを叩くようになります。
小学校受験に失敗した兄たちのストレスが亜澄さんに向かったのではないでしょうか。
亜澄さんが白百合学園に合格すると、「亜澄はほんとにいい子だね、それに比べて・・」【週間ポスト1/26号】と比較される兄たちの亜澄さんへのいじめは拍車がかかりました。 しかし、「2人の兄から殴る蹴るの暴行を受けている」【週刊現代1/27号】亜澄さんに対して、「暴言・暴行に関しては母も父も黙認するような状態」【女性自身1/30号】でした。

ここに、目的遂行のために感情をなくした人間が、どこまで人を道具にできるか、どこまで非人間的になり得るか、その実例を見る思いがします。
「家族とうまくいっていない。両親とも医者なので、自分はおとなしくしていなきゃいけない」【週刊文春1/18号】と、亜澄さんが所属事務所の社長に語っているように、亜澄さんはせいぜい歯科医というイメージを保つためのマスコット的な存在でしかありませんでした。そのため、おとなしくすることが「役割(仕事)」であり、また、家の中でストレスのはけ口になっていたとしても、それで次男が歯医者になれるのであれば、それもまた「役割」として親は「黙認」していたのだと思います。

そのいじめに耐えられず、亜澄さんは、わざわざ大学まで無試験で行けるエスカレーターを降りて、別の高校へと移ります。「私は家族に愛されていない」【週間ポスト1/26号】と言う亜澄さんは高校時代に「馬鹿になりたくていろんなことをやった」【同上】と言います。
そして、高校卒業前に家出をしますが、連れ戻されてしまいます。この経験によって、もう連れ戻されなくてすむ道を模索し始めます。
4年生大学ではなく短大に行ったのも、4年も我慢できなかったからでしょう。
そして短大入学後、キャバクラやレストランでバイトを始めます。キャバクラに行ったのは、「家に帰りたいけど帰るとお兄さんから殴られるから帰れないとも言っていました」【週間女性1/30号】と元同僚のキャバクラ嬢が言っているように、寮があったことも大きな要因でしょう。

そして、短大に入った年の12月から芸能事務所へ登録して芸能活動を開始しました。
劇団仲間によれば、『彼女は「いつ死んでもいい」「生きている意味がない」と人生に疲れきった様子でした』【週間ポスト1/26号】とのことです。生きる場をようやく見つけて瀕死になって辿り着いたのが、芸能事務所だったのではないでしょうか。
舞台関係者によれば、「家を出るために売れたい」「一人前になりたい。家族に認められたい」【週間女性1/30号】ということを言っていたようです。亜澄さんは、歯科医という武藤家の価値観以外の道で、自分のアイデンティティ及び自分という存在を認めてもらう道を模索したのでした。


■夢を許されざる者
一方の勇貴容疑者は週刊文春1/18号によると次のようなエピソードがあります。
@『同学年と話すときでさえ「さん」づけ。人と距離を置いている』
A『喋り方にも抑揚がなくて、感情がこもっていないんです』(中高時代の同級生)
B『一度、友達にくだらないことでからかわれて本気になって殴りかかったことがありました』『遅刻や忘れ物をして先生にしかられた後、席に戻ってから小声でボソッと「死ね」って呟いたり。そういうときの目つきは本気でした。』
C『宿題も全くやってこなかったし、遅刻も多くてやっと昼ごろに出てくることも珍しくなかった』
D『殺人の方法みたいな話をよくしていた』『「完全自殺マニュアル」もよく読んでいましたね』

@は、人との間に信頼関係を築けていないことを示しています。
その理由は、最も身近な人間関係である親子、兄弟の間で信頼関係ができていないことが一つ。
もう一つは、親の世界以外では生きていないということです。

Aは、気持ちを抑制して生きている人間の特徴です。
自分の気持ちを大事にせず、やるべきこと、押しつけられたことをこなし続けてロボット化しているのです。

Bは、ディスカウントされている人間の特徴です。
もうこれ以上傷つけられたら自分が崩壊してしまう−そういうギリギリのところで生きているため、からかわれることにも我慢できないのです。

Cは、2つの状態を示しているように思います。
1つは、これまで親の意に添うために走り続けて疲れ切っている状態。早期鬱の直前状況です。
もう一つは、これは自分本来の人生ではないと本当の自分が抵抗している状態です。

Dは、自分が精神的に殺されていますから、自分が死ぬこと、人を殺すこと、について関心が向くわけです。 これらのエピソードは、勇貴容疑者が高校時代には既に疲れ果てていたことを示しています。



では、彼は亜澄さんのように違う道を選ぶことはできなかったのでしょうか。
一つの価値しか認めない環境の中で人はどうなるか、戦時中のことを想定するとよいかも知れません。
戦争という価値に染まらない者は「非国民」扱いされてしまうのです。

両親も歯科医、その両親の親も歯科医という環境の中、両親が歯科医になることを望んでいるとすれば、「歯科医にあらずんば人に非ず」という状況だったのではないかと思います。 そのことをよく示しているのが、長兄の言葉です。弟が逮捕された翌日に大学に出てきて同級生を驚かせた長兄が、ある学生から「大変だったね」と声をかけられると「関係ないっすから」【週刊文春1/18号】と答えたそうです。そして、先生に『この事件の影響は僕の国家試験の悪影響になるんでしょうか』【プレイボーイ1/29号】と聞いたそうです。彼には自分と血を分けた兄弟の殺し合いでさえ「関係ない」のです。自分が歯科医になれるかどうかだけが唯一の重大事なのです。これは、彼の人間性というよりも、彼が歯科医という絶対価値の中に住んでいることを示していると思います。

唯一絶対の価値を押しつけられると、人はその体制の中で自分を殺して生きることを選ぶか、坂本龍馬のように一族と縁を切って「脱藩」してまで一人で生きる道を選ぶのか、その二者択一を迫られることになってしまうのです。
子供は誰しも親から認められたいもの。勇貴容疑者に脱藩する勇気はありませんでした。自分が継ぐべき医院も、既に"存在"していました。逃れる術がなかったのです。

一方、暴力に耐えかねて逃げ出した亜澄さんには、脱藩の道"しか"ありませんでした。
自分が継ぐべきものは、ここには何もありません。自分に与えられたものは、親も黙認しているストレスのはけ口としての機能だけです。逃げざるを得ませんでした。

片や、夢を許されざる者。
片や、夢にすがらざるを得ない者。

勇貴と亜澄は、対立する道を選ばざるを得なかったのです。
しかし、その亜澄さんの行動は家族全員が困っていました。
それは、武藤家の価値観にしがみつこうとしている勇貴容疑者にとっては容認し得ないものでした。
その結果、「2人は廊下ですれ違うときも無言でにらみ合うほど険悪な状態」【週間ポスト1/26号】になっていったのです。



■殺人の大義
武藤家の価値観以外の道で成功して、親に自分を認めてもらおうと思っていた亜澄さん。
しかし、その切なる願いも挫折します。昨年12月に芸能事務所との契約が解除となったのです。
「夢にすがらざるを得ない者」は、追い詰められたのではないかと思います。
途方に暮れた時、人のぬくもりがほしいですよね。親に愚痴でも言って慰めてもらって、そして気分新たにスタートを切る。亜澄さんも家族のぬくもりがほしかったのではないでしょうか。

しかし、よりによってそういう時に、夕食時に一人だけのけ者にされるという事件が起こりました。自分以外の家族4人が夕食をとっていることを知ったときの亜澄さんの気持ちは、一体どんなものだったでしょうか。亜澄さんは「なぜ夕食を知らせてくれなかった」と、母親と口論になります。
亜澄さんは言葉が足りず、母親は確認が足りない。
会話の少ない家族ではよく起こるすれ違いでしたが、この時の亜澄さんにはこたえたと思います。

一方この口論を聞いて、「なぜああいう言い方をするのか。妹が許せなかった」とスイッチが入ったのが勇貴容疑者でした。4度目の入試が目の前に迫っている重圧の中で懸命に頑張ろうとしている勇貴容疑者にとって、たかが夕食のことでここまでくってかかるわがままさに怒りを感じたのではないかと思います。
しかし、その怒りの本質は、自分が人生を捨ててまで懸命に維持しようとしている、武藤家の価値観に楯突くことへの怒りだったのではないでしょうか。その価値観の源泉は母親。亜澄さんは、自分が服従しているその絶対権力者に楯突いたのです。

人は背中に"正義"を背負うとき、敵を抹殺することに何の痛みも感じません。
怒りという個人的な感情は、正義を背負うと力を得て暴走するのです。
この口論事件は、歯科医という「絶対的価値を相対化」してしまう「敵」を征伐する「大義」を勇貴容疑者に与えたのではないかと思います。人生を賭して秩序を維持しようとしている勇貴容疑者だからこそ、自分がやるしかないと思ったのではないでしょうか。「夢を許されざる者」は、今や大義を得た征伐軍となりました。


■自分を殺した男
これだけ準備が整っています。2人きりになったとき、何らかのきっかけさえあればすぐに木刀で殴る行為に及んだのは当然の成り行きだったと思います。そして、頭から血を流し、恐らく出血多量で「寒い」とまで言っていた亜澄さんのために救急車を呼ぼうとはしていません。1時間近くも話しをしていたようです。

体制に迎合するか、あくまで反旗を翻すのか、その値踏みをしていたのかもしれません。
自分がひれ伏した一族の価値観に妹をも降伏させようと、命をかけさせたのかもしれません。
降伏してしまった勇貴容疑者にとって、抵抗を続けている亜澄さんは、自分の弱さやコンプレックスを刺激する目の上のたんこぶだったのです。
そして、決定的な言葉が発せられました。

『勇君は『勉強しないから成績が悪い』というけど、夢がないね』
『歯科医になるのは人のまねだ』

この言葉を頭から血を流し、「寒い」とまで言っていた亜澄さんがきつい言い方で言うでしょうか。
彼女は、「夢を許されざる者」に対して「夢を持ってもいいんだよ」と親の呪縛から解放する「許可」を与え、自分オリジナルの人生を歩めと伝えたのです。

しかし、歯科医という絶対価値の信望者であり、夢を見ないロボットとして生きてきた勇貴容疑者にとって、その言葉は、自分と自分の住む世界を破壊するテロでした。それで、首を絞めて息の根を止めたのでした。

勇貴容疑者にとって亜澄さんは鏡だったのだと思います。
最もどん底にいながら、たった一人で運命を切り開こうとしている自分です。
しかし、彼は亜澄さんになることはできませんでした。



この殺人は、自分を殺して「家」を支える道具として生きてきた人間が、もはや人間に戻ることをやめるために、完全に自分を殺すことでもあったのだと思います。
勇貴容疑者は、自分の中の「人間性」を抹殺したのです。
自ら、完璧な道具となって「家」に帰依するために−。

亜澄さんと交際中の男性が、「嫌いなんだから(家族のことなんて)どうでもいいだろう」と話すと、『「大好きだからつらいんじゃん」と泣きながら答えた』(毎日新聞1/22)そうです。

亜澄さんの本当の希望−それは、次の言葉に尽くされていると思います。
『家族全員で仲良くしたい』【週間ポスト1/26号】。

ご冥福をお祈りします。



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