■「短大生遺体切断事件」の記事掲載について
前号に掲載された標記の記事に関して不快感を持たれた方もいらっしゃいましたので、ご迷惑をおかけしました交流分析協会関東支部及び不快感を持たれました方にお詫びの上、掲載した理由を述べさせていただきます。
この記事は最初はブログに連載しました。その記事も期間限定で削除することを考えておりました。と申しますのも、ご両親他ご関係者の方々のことを考えますと胃が縮む思いで書いていたからです。
ではなぜ連載したか。
それは、勇貴容疑者及び亜澄さんが、共にあまりにも一方的でスキャンダラスな見方のままに葬られることが可哀相で仕方がなかったからです。
それでも、一度自分の考えを書いた上で削除しようと思っていました。
しかし以下のようなコメントやメールをいただきました。
『いいえ、削除は決してしないで下さい。数少ない善意の記述です』
『先生のブログを読まなかったら、マスコミの報道のように生意気な妹としか見えなかったです』
『私の子供は不登校です。でもそのお陰で私は子供に救い出されました。親の役目は子供を育てることではありません。子供から学ぶことです。子供への愛情とはどのように接することか。しつけの本質。人はなぜ犯罪を犯すのか。子供時代のトラウマや無意識の呪縛に囚われた私たち大人が自分自身の真実に気づかないかぎり、このような犯罪は繰り返されます。そして凶悪な犯罪のニュースがまるで人ごとのように次々と忘れ去られていきます。このような犯罪への心理分析は一部の人達には常識でも、一般には全く知られていません。新聞でもテレビでももっとこのような見解を取り上げるべきです。大人達が自分自身の心の闇を発見することは、実は世界平和につながる道です』
『みんなが目をそむけたくなる問題に正面からぶつかっていく英司さん、時代に必要な人ですね。ストレス多いと思いますが、無理をしないで多くの人に気づきを与えてくださいね』
このようなご声援を受けてブログには残すことにしました。
ただブログは個人的なものですが、協会紙は公的なものです。
どうしようか迷いましたが、読者が限られた範囲であり、その方々は、これまでの連載から「犯人捜しに意味はない」という私のシステムズアプローチのスタンスをご理解いただいているであろうと判断したことから掲載させていただきました。
また、前回冒頭に書きましたように『同じように苦しまれているご家族が沢山いることが十分に推測』され、私と同様ご家族の支援をされている方のご参考になればとの思いもありました。
私がこの事件で行った分析は、家族カウンセリングの現場でも行っているものです(お伝えするかどうかは別です)。
このご家族に対しても、私は一人一人のお気持ちを受け止め、それぞれの人生を肯定したでしょう。
そこにはただ「状況」があり、その状況の中で人は健気に懸命に生きているだけなのです。
責められる人はどこにもいません。
けれど、こういう結果が出てしまった。
その結果から学ばなければ全ての関係者が救われないのです。
しかし、結果を責められたくない親は子を責めてしまうものです。
そこで私は子の思いを伝え、いつしか「子は親の鏡」ということに気づかれます。
そして、親の中にいるインナーチャイルドの癒しも行います。
親もまた健気な子供であり、親が救われなければ子は救われないからです。
私の家族カウンセリングは、このようにして連鎖を絶ち、個々人が自律した人生に踏み出してもらうことが目的なのです。
ただ家族カウンセリングの場合は、相手の状況を見守りながら「半歩後を行く」形でフィードバックしていきますので無理がありません。
しかし、記事として書いてしまいますと、いきなり土足で乗り込む形になってしまうことになります。
でもこの事件から学ばなければ、また犠牲者が出てくる…。
私はいつも残された当事者と現在及び将来の犠牲者の間にいます。
とはいえ、やはり不快になるお気持ちはよく分かりますので、今後公的な媒体では求められる場合を除いて控えていこうかと思います。 今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。 |
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