二日目の夜。希望者がエンプティチェアをやることになった。
エンプティチェアとは、自分の向かいに空の椅子を置き、そこに自分の話したい相手が座っていると想定して"対話"するのである。相手が話す番になると、自分が向かいの椅子に座り直し、相手の気持ちになって話をすることにより、その時の相手の気持ちを共感的に理解する方法の一つである。
その夜は、三〇そこそこの青年が名乗りを上げた。社会的には立派な成功者であったが、「なにかをしていないと落ち着かない」「ゆっくりすることができない」という。交流分析でいうところの「努力せよ」というドライバー(強迫観念)が常に働いているのだ。
その青年はエンプティチェアに自分の父親を座らせ、自分は幼い頃の自分になった。そして、先生の指導に従って椅子を移りながら、幼い自分と父親になって"会話"をした。
その結果分かったことは、彼は「父親から無条件に愛されたかった」ということだった。
しかし、……その父親はもう亡くなっていない。
その後、一二名ほどいた参加者の中から青年の父親にもっとも似ていると思う人が選ばれ、先生の指示で、小さい頃にやりたかったことを始めた。大きな青年と細い年配の男性と。肩車はさすがにできなかったが、相撲をとっていた。泣きながらとっていた。
セッション後、みんなで彼に一言言って終わりにすることになった。
なにか言葉をかけ、そして握手をし、……島津はそれらを冷静にじっと眺めていた。だんだんと近づいてくる。
最後が島津のところだった。
自分よりも背の高い青年が、目の前に立った。
「申しわけないけど、今だけ、私の息子になってくれる?」
島津は声をかけた。
落ち着いた静かな声だったが、思わぬ言葉にそこにいるみんなが顔を上げ注目した。
青年がどういう顔をしていたかよく分からない。島津には、ただ微かにうなずいたように見えた。いや、あるいはそう見えただけだったかもしれない。
島津は一歩、二歩踏み出し、その青年のがっしりした身体をしっかりと抱きしめた。
手の平を通して、その青年の肉付きのよい背中から、暖かい体温が島津の中へ流れ込んできた。
その瞬間、島津はわんわん泣き出していた。
島津は、泣き出した自分に驚いていた。そして抑えようとした。
〈なにか言わなければいけない……〉
なんとか冷静になろうとした。
が、そうしようとすればするほど、それを跳ね除けるように嗚咽が後から後からこみ上げてくる。
どこからこの感情が湧き出してくるのか。
感情がこんこんと溢れ、それは涙と嗚咽になってほとばしり出、止めどがなかった。
ただ、肩を震わせて泣きじゃくっていた。
二人が互いをしっかりと抱きとめた形で、一つになって泣いていた。
どのくらい時間が経っただろう……。
そして、どのくらい泣いていたのだろう。
別の暖かい手が、島津の背中を優しく包んだ。
いつの間にか、周囲に人垣ができているようだった。
いろんな手が、島津たちを優しくさすっていた。
島津は、すーっと気持ちが静まってくるのが分かった。
〈あぁ、これが人から力をもらうということか……〉
ようやく島津は、むせびながらも途切れ途切れに話を始めた。
「厳しく、躾けてしまって申しわけない……。つい、自分の跡取り、長男という意識があって、厳しくしてしまった。でも、三歳は三歳だよなぁ……、男も女もないよなぁ……」
島津は、幼い頃の自分の息子に話しかけていた。
伸び伸び育てた上の娘と異なり、長男に対しては厳しかった。
怒る時に手は出さないが頭突きをした。すると、なにかいやなことがあると自分の頭を壁にゴンゴンぶつけ始めたのだ。息子が学んだのは、自分を傷つけて感情を吐き出すという術であった。
やがて、スーパーなどで大人が向こうから近づいてくるだけで身構え、ときには睨みつけるようになった。大人は自分に危害を加えるものと思っていた。
妻からそういう様子を聞き、島津はショックとともに反省した。
"しつけ"という名の下に、自分の枠に子供を押し込めようとする"押し付け"を俺はやっていた。
どんな人間でも、一方的な押し付けに遭うと病気になる。
島津は青年の姿に自分の息子の将来を見た。
哀れでならなかった。
こんなにも父親に縛られ、こんなにも窮屈な生き方をしなければならないのか。
しかも、父親が亡くなった後までも。
子どもに心の平安を作れない親など、親ではない!
可哀相でしょうがなかった。島津は、嗚咽をこらえつつ、途切れ途切れに続けた。
「でも、これだけは分かって欲しい。本当に愛していたんだ。君のお父さんも深く愛していたと思う。
でも、間違っていた。申しわけない。
……それに、君も、もう十分頑張った。もう十分だよ。もうこれ以上頑張る必要はない。
頑張らなくても、今の君であるだけで、お父さんは本当に愛しているから……」
島津は青年を借りて息子に謝罪し、懺悔したのだ。
そして、その青年は父親の言葉を聞いた。
その後、島津は呆けたようにしばらくボーっと横になりながら、自分が癒されたのを感じていた。
その研修から帰ってから、島津の息子に対する態度が変化した。
すると、息子も呼応するように変化したのである。
〈こんな俺を許してくれる〉。
息子の変化に、子供の親への深い愛情を島津は感じた。
そして、子は本当に親の鏡なのだと実感したのであった。
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