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 HOME>メディア>「交流分析協会関東支部会報」2008.11掲載記事

■インナーペアレンツ

私は世代間連鎖の観点から家族の問題を解決に導いているが、様々なステップを踏んで行く中で訪れる最も手強い闘いは、自分の中に棲む親(インナーペアレンツ)との闘いである。言い換えれば自分自身との闘い―つまり、自律に向けての闘いの最後に待ち受けるラスボスは"自分"なのである。

インナーペアレンツって一体何? という前に、先ずはインナーペアレンツがどのような言葉で自分を支配しているのかを見てみよう。

ドライバー(駆り立てるもの)系 ストッパー(禁止令)系
○○しろ(しておけ)
○○したか?
○○するんだろう?
○○してないのか?
○○しないつもりか?
○○するべきだ(すればいいんだ!)
○○するのが本当だろ(して当たり前だろう)
○○しなきゃいけないでしょ
○○してる場合じゃないでしょ
○○してる暇があるの?
○○するようじゃダメだ
○○するものではない
○○するべきではない
○○するんじゃない
○○してはいけない
○○するな



ちなみに、ドライバー系には、「努力せよ」「急げ」「喜ばせろ」「強くあれ」「完全であれ」というテイビー・ケーラーが唱えた5大ドライバーを入れてみよう。いかがだろうか。親に言われたり、態度で強制されたりした覚えがある方も多いはず。他にも、「正しくあれ」「きちんとせよ」「時間通りであれ」「明るくあれ」「優しくあれ」「配慮せよ」「愛想よくせよ」……等々、様々な言葉を無造作に親から投げられているはずだ。

一方、ストッパー系には、グールディング夫妻が唱えた禁止令を入れてみよう。
次の例の内、()内が言外に含まれている禁止令である。
「泣くな(感じるな)」「理屈を言うな(考えるな)」「口を挟むな(重要であるな)」「遊ぶな(仲間を作るな)」「怠けるな、休むな(自分と向き合うな)」……こちらもまた覚えのある方は多いのではないだろうか。

つまり、左上の「しろ」(Do)〜右下の「するな」(Don,t Do)にいたるまで、あらゆることに対してドライバー(強制)とストッパー(禁止)が散りばめられている。そのため、次のようになってしまう。

1,心にもないこと、意に沿わないこともやってしまう。無理をする。我慢する。
2,心が動こうと思えば「するな」と言い、心がやめようと思えば「やめるな」と言い、進むも能わず引くも能わず、がんじがらめで身動きできなくなっていく。


いかがだろうか。自分の言動が自分の心ではなく、自分に内在化したドライバーとストッパーに翻弄されている。
この内在化したドライバーとストッパーの総体を、私はインナーペアレンツと呼んでいる。

つまり、自分はインナーペアレンツの操り人形になってしまうのだ。
だから、その行動は自分の経験にならず、その経過は自分の記憶に残らない。
何かを成し遂げても達成感はなく、それは自分の人生ではない。

これが、交流分析的にいえば、「P(Parent)がA(Adult)を汚染する」と言われる状態である。






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