| -あなたは、どこでだれと暮らしますか-という副題で定年を迎えた老夫婦が暮らしを手探りする状況が紹介されていた。 カメラは、挨拶回りを始める一人の男性を追うことから始まる。 その“部長”は定年直前まで陣頭指揮をとり、お陰で関係各所への挨拶回りが定年後になってしまったというバリバリのサラリーマンである。 ところが挨拶廻りを終えた翌日、もうなすべきことがない。 手帳の年間スケジュールは空白のまま埋ることがない…。 この先平均余命の20年という膨大な空白の時間が残されているのである。 この極端な落差にショックを受ける。 働くことを考えるが、このリストラの時代、受入先はおいそれとは見つかるはずもない。会社で培った経験や地位は意味をなさない。 一方、近所に溶け込もうと思うが、話しかけようにも話しかける内容が思いつかず、挨拶以上に関係が深まらない。 自分達も仕事が忙しく、同じだったと気付く。 ふとわかる。 都会のこの自宅は仕事をするには便利だったが、地域とのつながりは何もなかったことが。 “ここは住むべきところではない” それが、定年後すぐに出てきた結論である。 では、どこか。 自分の故郷に帰る事を考える。しかし、女房がついていけないだろう。 今住んでいるここでも、故郷でもないどこか…ついに夫婦は移住を紹介する集会に参加することを決意する。 夫婦で“40年ぶりに”話し合った。奥さんが言う。 この人とこんなに話し合うことがあるのかと思うくらい。 不安な面持ちで参加したが、集まった老夫婦達と屈託なく話しあえたことが嬉しい。こういう親密な他人との会話は、これまでなかったのではないか。こういう人達が一緒ならば、このうち、誰かの調子が悪くなっても助けあっていけるのではないか。 この先不安なのは先ず第一に健康である。 集団移住先に下見に行く。 田舎だがみかん畑がある。ブドウ農家の子倅であったので、このみかん畑に手をいれることができると思うと生きがいも湧く。空白のスケジュールが春夏秋冬埋っていくことだろう。気候は温暖。暮らすには申し分ないところだ。 集会参加者の中から、一足お先に移住者が出た。 その夫婦はやはり駅に近くて便利ということで、高速道路の近くにすんでいた。が、排気ガスで一日家に居る奥さんが肺をやられた。 この老夫婦は、夜は川の流れしか聞こえない、この空気の良い田舎が一発で気にいってしまった。しかし、これから移住先町内で人間関係をつくっていかなければならない。 これからが本番である。 これから誰もが考えなくてはならない課題が提示されている。 先ず健康に生きること。 そして、生きがいをもって生きること。 会社勤めをする間に健康を害する人は多ぜいいる。 胃腸をとり、糖尿病などの全身病になり、またはうつや分裂など精神まで犯されることもある。つきあいもあれば、徹夜仕事もあろう。 が、害した健康を会社は保障する分けではない。 まして、“過労死”が認められ始めたのもようやく最近である。 会社との闘いで健康を害してしまっては自分の負けである。 会社にほっぽり出されて、なお20年間“健康”に生きていかねばならないのだ。 次に“生きがい”である。 会社を放り出された後、その経験が生きることは少ない。 しかし、我々は食べていかなくてはならない。 食べていけるだけの専門性を身につけていかなくてはならない。 この夫婦のように定年後に農業へと転身する例もあろう。が、少なくとも彼等は農業に関する感度がある。急に方向転換できないのであれば、60才を超えても食べていける道を見つけていくしかないのだ。 何事も1人前になるまでに少なくとも10年。 それから本当の意味で自立できるとした場合、少なくとも55才くらいでは自立していたいものだ。逆算すれば45才までには自分の決めた専門の道へ転身していなくてはならない。 その転身をするにしても、ある程度の基礎がなければ離陸は難しい。 離陸に充分な助走をしてからでなければ、離陸した途端に息切れがして失速するのが落ちである。 40才の今年助走が始まった。 この3年間、地道に実力をつけていきたいと思う。 |
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