| 今回の逮捕は、Y氏にとって良かったと思います。 目が覚めないままに人生を終えるよりは、少しの間でも目を覚まし、自分の足で歩き、空気を吸い…「自分の人生」を歩くきっかけとなることを願っています。 「おまえはよくやった。ようここまで頑張った。」 「今のおまえを誇りに思う。辛かっただろうが、たった一人でよくここまで守り続けたな」 「だが、もう十分だ。もうこれ以上頑張る必要はない。今のままで、おまえ自身であるだけで、父は十分だ」 「おまえを愛している」 私も、父親に支配されている青年にあったことがあります。 彼は、何かをしていないと落ち着かない生活を送っていました。 社会的には十分に成功していますが、ゆっくりできません。 そして、彼は自分の中に、既に亡くなっている父親が棲んでいたことに気づきます。 厳しい父親で、努力すれば褒められるが、そうでなければ認めてくれない。 彼の中に「努力せよ」というドライバー(駆り立てるもの)が住み着いてしまったのでした。 彼は、父親の無条件の愛情がほしかったのです。 救われるためには、「気づき」が必要です。 自分が縛られているものに、気づく必要があります。 次に、「許可」が必要です。 努力をしなてもよい、という許可です。 それは、ありのままのあなたの存在を認め、愛するということです。 私は、その青年の姿に自分の子供の将来の姿を見ました。 そして、彼を抱きとめたとき自分でも思いもかけず大泣きしてしまいました。 私は、嗚咽と共に自分の思いを述べ、そして「許可」を与えました。 私は彼を借りて息子に懺悔し、彼は父親の言葉を聞きました。… (以上の出来事は、拙著「あきらめの壁をぶち破った人々」に詳細に記載してあります) つくづく思うことは、 親は子を支配してはならない ということです。 子どもは、自分が成し遂げるべき課題を持って生まれてきています。 親が与えることの出来るのは、逆に十分に与えなければならないのは愛情です。自己実現は、本人の問題なのです。 |
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