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【1991-2005 JR西日本事件−尼崎脱線・転覆鉄道事故より俯瞰】

19、59対17

5月2日。今朝のニュースを見て驚いた。
安全状況が未確認のまま、運転再開が検討されているらしい。

 これでは、2002年に救急隊員をはねて死傷させたときと全く同じではないか。
 今朝の報道で、その隊員の父親が話していたが、怪我をした中学生を担架に乗せたその時に100kmものスピードでJR西日本の特急列車が突っ込んできた。この時も、安全状況は未確認だった。
 亡くなった隊員はきりっとした好男子だ。結婚して子どもが生まれたばかりだったと言う。亡くなった隊員の教訓がまるで生かされていない父親の無念の思い。



 海外のメディアが、「時間にとりつかれた」というような表現で報じたらしい。
 これまで見てきたように、この15年間どのような犠牲が出ようともものともせずに、スピードアップに邁進してきた。その結果、ローカル線だった福知山線はドル箱路線に変貌し、スピードも国鉄時代の約半分にまで短縮した。その「私鉄よりも早いスピード」が収益を押し上げた。

 そして、今年の目標もなお「1、稼ぐ」であり、「収入拡大」である。その“拡大”を確保するために、早々に運転を再開しようとしているのか。
 まさに、とりつかれているとしか表現しようのない亡者の仕業のように思える。



 また、今日のニュースで興味を引いたのは、オーバーランのミスの回数比較である。JR東日本やJR東海が16件および17件であるのに、JR西日本は59件である。あきらかに異常な数字だ。
 JR西日本の運転士の能力が相対的に低いのか、あるいは、全体的にモラルが低下しているのか。いずれも違うと私は思う。何かが起こった時に、個人のせいにする発想はそろそろ抜け出した方がよい。

 私は、人間の能力にそれほど差があるとは思っていないし、仕事に対する姿勢に差があるとも思わない。変にいじくり回さなければ子どもも真っ当に育つように、組織が個人をいじくり回さなければ、これほどひどい差は出てこないはずだ。
 つまり、これほどの差が出ると言うことは、JR西日本が個人をいじくり回しているということである。



 先にも書いたが、人はダブルバインドの状況下では確実に操り人形になる。
 そして、魂の抜けたような仕事になりミスが頻発する。
 心ここにあらずで仕事をするから当然である。
 本人は、監視の目と罰を恐れ、それに注意のエネルギーが注ぎ込まれて実はくたくたになってしまっている。仕事に集中するエネルギーが沸いてこないのだ。
 今、書いたことはすべて私の体験であるから断言する。
 これは理性でどうにかなる問題ではない。

 私の場合、ダブルバインドを行使する上司が右隣の席だった。
 そのとき、出社した途端に全身の神経が右隣に対してピリピリしているのが分った。その上司がまだ出勤していないにもかかわらずである。
 おわかりであろうか。

 上司がいようといないとにかかわらず、出社して家に帰り着くまでの間、全神経が戒厳令の夜のように緊張を解いていないのだ。全神経が仕事ではなくその上司の一挙一動を警戒していた。バリアを張っていたと言ってもいいかもしれない。
 これは私の理性ではなく生理の問題であった。

 このように過ごすと、どうなるか。
 わずか1日の出社でくたくたになるのである。
 何をしていなくてもだ。
 仕事の効率が目に見えて落ちるのが分った。



 厳しい管理と処罰の目というものは、組織全体を覆っているものなのである。
 まして、見せしめを行っていたJR西の場合は、組織全体が監獄のようなものである。何かあると懲罰房に連れて行かれ、理不尽な罰を看守から受ける。

 「厳格」なダイヤは、ときに乗客の安心を奪うことを強要する。
 運転士たちは、常に乗客の安心とダイヤを秤にかけながら、理不尽な罰に怯えつつ良心と闘って運転しているのである。
 良心と闘いつつ運転しなければならない―一体、このような仕事があって許されるのか!

 そして、これだけの気持ちのせめぎ合いの中で仕事をしたとき、精神がくたくたに疲れ果ててしまうことも、時に、心がぽかっと空洞になってしまうことも分るだろう。
 他のJRよりも3倍以上も多いJR西日本のミスは、会社が誘発しているのだ。

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