| 5月5日。新聞を読んで、昨日の2名の社員は上司と連絡を取り合った後、上司の指示で勤務に復帰していたことが分った。JRは、その事実を隠していたわけである。これは由々しきことだ。昨日の報道では、まるで個人に非があるように思わせてしまう。しかし、この事実からは、明白にJR側に責任が発生する。 改めて昨日の朝日新聞を読むと、『村上恒美・安全推進部長は、2人が現場を離れた理由を「非常に大きな事故で気が動転して、とりあえず職場に向かった」と釈明した』となっている。そして、『マニュアルはないが、社員には日頃から、異常事態に遭遇した場合は救助活動に加わるよう指導しているという』と書かせ、その上で、『徳岡研三専務は「当然救助すべきで、申し訳ない。誠に遺憾で残念」と述べ』ている。 その会見を受けて、小見出しは、『「気が動転」JR処分検討』という見出しだ。 まるで、全責任をこの2名に負わせているJR側の公表の仕方であり、昨日の記者の質問を聞いて危惧を覚えたとおり、マスコミもまんまとそれに乗せられてしまったように思える。 これで運転士バッシングが高まってその運転士を処分すれば、JRにとって口封じができることになる。過失を犯して辞めさせられた人間の意見を、まともに聞く人は少なくなるからだ。不当な“レッテル貼り”である。 これは、私のうがった見方かもしれないが、テレビの報道で表情などを見ていて感じたことなので率直に書いておくと、高見運転士が遺体で発見された時、それを報告する方の顔が心なしかほっとしているように見えてしまった。 まぁ、徹頭徹尾無表情なのでなんとも言えないが、少なくとも悲しみの表情は見られなかった。ただ、あぁ、JRは内心これで口封じができたと思っているのではないか、とそのとき私が思ったのは確かだ。 ついで、たまたま事故列車に乗り合わせたこの2名の職員を処分することができれば、関係者の口封じは進む。JRは、マスコミの力もうまく利用して、責任の追求が中枢に及ばないための“トカゲの尻尾切り”をしようとしているように思えてならない。 そして、今朝の新聞を読むと、『同社は上司2人の対応は不適切だったと判断、上司についても処分を含めた対応を検討している』と書いてある。 何のことはない。口封じの対象が広がっただけのことで、まだJRの意向どおりに事が進んでいる。マスコミは、この4名の“処分”を進めさせてはいけないと思う。 気になるのは、1両目に乗っていて現在入院中といわれる、同社子会社の社員である。どのような思想統制が行われるか、マスコミは牽制球を投げて彼を保護しなくてはならないのではないだろうか。 ところで、経営が無理難題を社員に押し付け、それを社員が遂行できないと、その社員の責任を問うてマイナス査定、減給、降格などの処分を行うことは一般の企業でも見られることである。 ここには、組織の責任(アカウンタビリティ)なく、個人の責任(レスポンシビリティ)ばかりを問うてきた日本の悪しき伝統がある。お上の言うことは正しく、下はただ黙ってそれを遂行すればよい、という伝統だ。 工業化社会において、その伝統は強化された。 上意下達を基本とするライン型組織にあっては、上から来る指示や命令に対して、下から問い直すと言う発想や習慣は生まれ難い。まして、パイが拡大していく高度成長期にあっては、言われたことをやっていれば収益は伸びた。 特にそういう時代をすごした団塊の世代は、「なぜ」と問い返す習慣はなく、それはむしろ罪ですらあったかもしれない。逆に、言われたことを黙って遂行する、それが誇りであったかもしれない。 しかし、作れば売れる時代が去り、安易な多角化が死を招く時代が来た。あれもこれもやれ、という行け行けどんどんの時代から、あれかこれかをシビアに選択する時代に入った。つまり、低成長になって日本企業は初めて“経営判断”を突きつけられるようになったのである。 が、下からの問いかけ(フィードバック)がない組織に経営判断は生まれない。 『日本企業で経営者が育たないというのは当たり前だ、と島津は思った。管理職が評価を気にして、お上の言うことを唯々諾々と受けてしまうからである。 たとえば、AとBの二つの仕事を押し付けられた時に、いずれかの責任をまっとうできないのであれば、矜持を持って突き返さなければならない。すると、今度は経営側が判断を迫られることになる。 AとBが本当に両立しないかの検討から始まり、 AとBの優先順位はどちらが本当に高いのか、 A(またはB)は今やらなければならないか、 さらには本当にやらなければならない仕事か、 そこまで本質に迫って検討することになる。 最後には、"今この時点で"経営判断をしなければならなくなるのだ。 〈『管理職だから我侭を言うな』って? 馬鹿を言っちゃあいけない。 そういうことをいつまでも言って個人に甘えているから、経営が鍛えられないんだ。 管理職は会社の奴隷になっちゃあダメだ。 それは、会社を弱めることになるからだ。 言うべき言葉は、『管理職だからこそ、無責任に引き受けるな!』だ。』 (以上、「あきらめの壁をぶち破った人々」より) 私は、評価をちらつかせてあれもこれもと押し付けてくる上司に対して、それは個人裁量(レスポンシビリティ)の問題ではなく経営判断(アカウンタビリティ)の問題だと応じ、それによって自分が「集中」すべきことを「選択」することによって、組織改革を成功させることができた。 JR西日本は、完全に上意下達の軍隊型組織であったと思われる。 社員は、ただ言われたことを必死に遂行するだけで精一杯であっただろう。 この事故において、関係者個々人のレスポンシビリティだけが問われてけりがつけられ、アカウンタビリティに追及の手が及ばなくなることだけは避けなければならない。 |
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