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【1991-2005 JR西日本事件−尼崎脱線・転覆鉄道事故より俯瞰】

6、わずか「1分30秒」の“重さ”

 事故の直接原因がスピードの出しすぎにあったことは明白である。
 ではなぜ、普段でさえ“不安を感じる”という魔のカーブにいたるギリギリまでスピードを出し続けたのか。

 冷静であればやるはずのない行為。
 常識的な判断を超えた行為をする場合、そのウラには冷静な判断すらかき乱すようなプレッシャーが働いていたはずである。
 そのプレッシャーのことをTA(交流分析)では、人をその行為に駆り立てるものという意味で「ドライバー」と呼ぶ。

 一体なにが、高見運転士をそこまで駆り立てたのか?
 そこを探ることが、事故原因究明の本質である。
 そこを取り除かない限り、いくら他の条件を整備したところで、違う形で事故は繰り返されることになる。



 事故が起きなかった場合のことを考えてみよう。
 高見運転士が、もし伊丹駅で時間をロスしていなかったら事故は起きただろうか。
 おそらく起きなかっただろう。いつもの通り、魔のカーブは緊張を感じながらもすり抜けていたはずだ。
 が、事故は起きた。

 その原因は1分30秒の遅れだった。
 生きる上でなんていうことはない時間である。
 しかし、そのテレビのコマーシャルを見ているよりもはるかに短い1分30秒は、高見運転士の平静を失わせた。
 そして、乗客の命と「1分30秒」をはかりにかけ、「1分30秒」を回復する道を選んだのである。

 なぜその道を選ばざるを得なかったのか。
 それは、わずか「1分30秒」に自分の人生がかかるほどの運命を感じていたからであろう。
 つまり、彼をそういう判断に追い込むほどの重たい意味が「1分30秒」にはあったのである。否、「1分30秒」にそれほどの意味を持たせる何かが背景にあったのである。

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