| もう少し突っ込んだ想定をしてみよう。 高見運転士が30秒程度のロスをして、直線コースを飛ばすことによってなんとか回復し、定刻に間に合わせたとしよう。乗客は常ならぬスピードに不安を感じるだろう。しかし、無事に着いた。 この時、JR西日本はどういう対応をするだろう。 「30秒遅れたことは仕方がない。終わったことで悩むな。なーに、誰でもあることだ。それに、生き死ににかかわる時間ではない。 それよりも、次の区間をいつもの通り安全運転で走行することが大事だ。お客さんに安心して乗ってもらい安全に運ぶことが最大の使命だ。 これからは、遅れを取り戻そうとせず、すんでしまったことにとらわれず、常に現時点での安全に集中して運転するように」 と言うだろうか。 1秒の遅れでも理由書を提出させていたという非常識な世界に生きているJRである。 遅れの挽回は、日常的プレッシャーとして運転士の中にあった。 報道では、直線距離で挽回するということは日常的に行われていたと運転士が話していた。挽回する時間によって速度は異なる。すると魔のカーブに進入するときのブレーキのタイミングや力加減がそのつど変わると言うことだ。 彼は「勘」と言っていた。 つまり、JR西日本は、多くの人命を運ぶ列車の運転に「勘」を強いる運転をさせていたと言うことだ。 遅れは、何も運転士のミスだけで起こるわけではない。 客が多くてその乗降に時間がかかり遅れることもある。 それで遅れが出るということは、そもそもの運行計画に無理があるということだが、それでも「1秒」遅れで理由を書かなければならない。 運転士は、危険な軌道や無理なダイヤなどの構造上の欠陥も含めて、すべての責任を一身に背負い、勘とテクニックで遅れを挽回しなければならない。 そして、それが当たり前のように常態化していたことを物語るのが運転士の言葉である。 では、45秒の遅れでは、どうか。1分の遅れではどうか…。 曲芸的な運転ができる運転士がいれば、中で乗客がどんなに振り回されようとも、時間回復のための運転は許されるのか。 (実際、新聞を読むとなんと1分の遅れを取り戻すために、「乗客に急ブレーキのショックを与えるとわかっていたが、ダイヤ回復のために」高速運転+急ブレーキをやってしまったという運転士の談話が載っていて唖然とした。新聞を読むまでは、上記のことは、あくまで想定として書いていたのであるが、実際になされていたのである!) 結局、安全確保という絶対的価値が取り外されてしまうと、運転士はスピードと技術(ハード&ソフト)の果てしのない競争のストレスの中に身を置くことになってしまう。 そして、いつか事故につながるのだ。 あなたの会社においても極端な想定をしてみるとよい。 それは、シュミレーションすることによって、なにを最も大切な価値と考えているか、その本質が見えてくるからだ。 ケーススタディをすることは、その組織が最も大切にしている唯一の価値を見極めるために大事なことなのである。 |
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