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【1990-2005 三菱自欠陥隠し問題】

2、15年かけて企業は沈む

1990年からクラッチ欠陥による不具合が出始め、94年4月に横浜市で人身事故が発生。

1995年夏、物損事故を起こした都内の産廃業者に対し7台の新車を提供してもみ消し。
1995年秋、中神達郎品質保証部長が「クラッチ欠陥を放置すると重大事故を引き起こす。早急に対策が必要」と報告を受け、実験。(パジェロが大ヒットし、トヨタ、日産につづいて国内乗用車市場で3位)

1996年、リコール検討会で「重大欠陥」と報告。が、却下。リコールはなされなかった。
1996年、米国子会社でのセクハラ訴訟事件

1997年、総会屋への利益供与事件で元役員らが逮捕

1999年6月、広島で三菱自動車製の高速バスのタイヤ脱落事故が発生(ハブの欠陥が疑われたが、三菱は整備不良の問題として片付ける)

2000年、リコール隠し事件で罰金刑(顧客クレームの不具合情報を隠し、内部告発で六十二万台ものリコールに追い込まれ、販売不振に陥った)。しかし、クラッチについては対策を講じなかった。ダイムラークライスラーと提携。

2002年1月、大型車タイヤ脱落事故により横浜で母子三人が死傷。が、「使用者の整備不良が原因」と主張、不都合なデータを隠し国交省には虚偽報告を続けた。→悪質として逮捕

2002年10月、大型車のクラッチ部品の欠陥で男性運転手(39歳)が死亡。→河添克彦元社長ら元役員6人を業務上過失致死の疑いで逮捕。塩沢秀幸・常務執行役員らが会見し「重大事故が起きたら対処しようと思っていた」と釈明。

2003年、三菱ふそうトラック・バスカンパニー分社化(以降三菱ふそう)。

2004年12月、起訴事実を認めている三菱ふそう元社長・村田有造(67)、三菱自元執行役員・中神達郎(62)は被害者遺族と示談。無罪を主張している三菱自元社長・河添克彦(68)、三菱ふそう元会長・宇佐美隆(64)の両被告とは示談が成立せず。

2005年3月、益子修社長(56)は、“中興の祖”中村裕一・元会長(79)ら歴代トップを、「過去の『負』の部分」と名指し7人に民事上の責任があったとして、退職金の全額返還を求める損害賠償請求を行うと発表。対象は、中村裕一・元会長(79)(退職金6億円!)、河添克彦・元社長(68)、三菱ふそうトラック・バスの宇佐美隆・元会長(64)、木村雄宗・元会長(74)、村田有造・元三菱ふそうトラック・バスカンパニー社長(67)、樋口敏雄・元常務(70)、中神達郎・元取締役(62)。

*山一證券も15年かけて沈みました。現在三菱自は浮沈の危機に瀕しています。抜本的な対策を取らない場合、企業はおよそ15年かけて沈むことを、この2社の例は示しています。

*山一の場合やるべき抜本的対策は、社長を輩出し、人・金を握り権力が集中する「企画室」の解体でした。自主廃業に追い込まれるまでの15年間、優秀な社員は相次いで入社したでしょうし、組織を変えるための○○プロジェクトも相次いでなされたことでしょう。しかし、抜本的対策がなされない場合、それら数多のプロジェクトは何の効果も持ち得ないことを山一は証明しました。
 では、三菱は…

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