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【1990-2005 三菱自欠陥隠し問題】

4、99年第W期に突入

 99年の事故で、三菱が整備不良の問題として業者に責任転嫁しました。
 95年に業者に新車を提供してもみ消してからわずか4年後には、もはや堂々と責任をなすりつけていたわけです。そして、それを国が徹底追求しなかったことはその後の犯罪への道を開いてしまいました。三菱は国をなめたのです。
 この99年が、三菱が第W期に足を踏み入れた年だったのだと思います。

 その証拠が00年の内部告発です。
 これは、三菱が既に犯罪臨界を越え、社会に被害を及ぼしかねないことを社会に知らせるためのサインでした。かろうじてこのサインを社会に向けて発したことは、三菱に残っていた最後の良心の力だったのかもしれません。
 この時点で、業界は、そして社会は、このサインをきちんと受け止めるべきでした。

 第W期に突入すると、必ず社会に被害が及びます。
 その企業が自動車という凶器になり得るものを作っている会社であれば、必ず死人が出るわけです。しかし、犯罪臨界を越えモラルが喪失した中で日常を過ごしているため、通常の感覚が失われています。
 その証拠が、「重大事故が起きたら対処しようと思っていた」という言葉に表れています。自動車における重大事故といえば死亡事故に他なりません。彼は、死者が出るまで手を打つ気がなかったと言っているわけです。言い換えれば死者が出ることを想定しながら手を打たなかったーもはや、人の気持ちを失っていたとしか言いようがありません。

 そして、第W期に突入して3年後、犠牲者が出ました…。


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