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 HOME>「家庭」と「会社」という現場から見た父親

■父親の及ぼす家庭への影響とは?

日本家庭生活研究協会の平成18年度事業報告書に掲載した記事です。

サラリーマンがどのように追い詰められていったのか。

父親が家庭に影響を及ぼした結果、子はどうなったか?

そこにある共通の問題は何か?

『男性の1日の82%は、仕事と寝て食べてという生活の基本に費やされている。その上、仕事満足度は10%』「元気なお父さん作り」のシンポジスト松田茂樹氏(第一生命経済研究所 副主任研究員)の発表である。
一方で、子供と話す時間が少ないことに悩むお父さんは40%(06.08.02朝日)、「平日に父親が子供と関わる時間」については1/4の父親がほとんどないと答え、30分以下では60%を超える。また「子供の悩みを知らない」父親は67%に上った(内閣府調査 07.03.02朝日)。

子供に食卓の風景を描かせるとその家庭の温度が現れるが、食卓の人物に表情がある絵は20%しかなく、家庭でのコミュニケーション不足を象徴するかのように人物が記号となっている絵が実に40%、さらには人物の登場しない絵までもが現れている。
これらの数字や動的家族画から浮かび上がってくるのは、1日の大半を仕事に追われて家庭は寝に帰るだけというお父さんの姿。そして、戦災孤児ならぬ企業孤児となって放置されている子供たちの姿である。


私は現在、問題のあるご家庭に呼ばれて全国を訪問して歩いているが、今日本という国は「家庭」という土台から崩壊しつつある砂上の楼閣のように感じている。豪邸から田舎まで、複合家族からシングルまで、またサラリーマンを始めとするいろいろな職種のご家庭に訪問しているが、形骸化したレールの上を走らされる事による病理が蔓延していて数字以上に危機感は深い。なぜ会社がこうなってしまったのか、そして父親の変化が家庭にどのような影響を及ぼしているのか述べたい。


私は20年間会社という現場にいて人事・労務・厚生・教育などに関わり、最後は組織改革を成功させて独立した(詳しくは「あきらめの壁をぶち破った人々」(日本経済新聞社))。
その後いろいろな企業や自治体に呼ばれて組織改革やコンプライアンス、ワークライフバランスの講演、チームマネジメント、ファシリテーションのワークショップなどを行っている。そのため組織の変化を外の目から定点チェックできるわけだが、今や企業はマネジメントのカオスの中にたたき込まれ上滑りに滑っている。サラリーマンの街新橋でランチタイムに店に入ると、コミュニケーションが取れない人が多いことに気づく。顔つきも暗い。
なぜこうなってしまったのか。

簡単に言えば、「人は石垣、人は城」と言っていた企業が人作りをしなくなり、人は使い捨てになって希望がなくなり、モラルとモチベーションが下がった。人を育てるとは、想定したモデルに近づけていくと言うことである。そのモデルに到達するためにはステップアップと成熟のストーリーが必要だから教育には体系が必要であり、私はその体系を創り上げた。しかし、90年代半ばからなし崩し的に教育は行われなくなり、その内アウトソーシングさえもなくなっていく。

日本社会が大きなターニングポイントを回ったのは97年。
15歳未満人口と65歳以上人口が並び、社会保障を始めとして「ヒト余り」を前提とした社会から、構造的「ヒト不足」の社会へと社会システムの変更を迫られた年である。
この年、殺人まで起きた山一事件、自殺者まで出した野村・第一勧銀の総会屋事件など戦後の日本を率いてきた大企業の「企業犯罪」が問われ、戦後の社会システムが制度疲労を起こしていることを示した。学校現場でも「キレる」という言葉が登場し、『日本では、まさに学校が生徒を殺している』(タイ「ネーション」)と評された。そういう中、世を震撼させた「酒鬼薔薇事件」が起こった。社会は少年Aの異常性に問題を帰着させようとしたが、彼は普通の家庭の中で追い詰められていた普通の子供だった(詳しくは、拙著「あなたの子どもを加害者にしないために」(生活情報センター))。
つまり、97年は、社会システムも、企業のあり方も、学校現場も、家庭も、その全てが行き詰まりを見せた年だったのである。実際、博報堂生活総合研究所によると、日本人の生活や行動パターンは98年を境に大きく変化しているという。

ところが政治は、外圧に押されて規制緩和に大きく舵を切った。象徴は派遣法の相次ぐ改正である。結果的に、「必要なモノを、必要な時に、必要なだけ」という生産方式を「人間」にまで押しつけるバックボーンとなった。言わば派遣法は人を「部品化」し、人の使い捨て体制を整備したのである。折しもリストラが株価を押し上げて会社は株主のものという圧力が高まり、サラリーマンはリストラと派遣転落の恐怖の板挟みの中で会社に支配され、ワークライフバランスはなし崩し的に崩壊していった…。
父親が及ぼす影響の諸相を見てみよう。

「不登校」になった小2。
父親が家庭のことを顧みないため、母親が常時不安と緊張の中に置かれることになった結果だった。子供にとって母親は安全基地。その安全基地が不安定なので子供は学校どころではなかったのである。

「危険行為」を繰り返す小3。
命に関わる危険については本気で怒らなければならないが、叱ることが出来ない父親だった。そのため安全基準が身につかなかったのである。

「金」で友達を釣る小4。
共働きの両親は、愛情の変わりに子供にお金を与えた。お金が愛情の代わりになることを友情に応用したのだった。

「万引き」をした小6。
学歴主義の父親は成績が全て。ありのままの自分という人間を認めてもらったことはなかった。自分の存在への認知欲求とストレスが万引きをさせたのだった。

「キレて」暴力沙汰を起こしてしまった中1。
父親は出張などで不在がち。母親が子供の生活全てを管理していた。その息苦しさの中、ため込んだ感情が爆発した事件だった。
「引きこもり」始めた中3。
父親の押しつけるレールの上を走り続けて力尽き、私立中学入学後から欠席が始まり、父親が見放して後、引きこもりに入ったのだった。

「自殺未遂」した高2。
父親の望みを叶えるべく文武両道かつクラスリーダーで先生の信望も厚いという3拍子揃った頑張り屋だった。しかし、イジメにあったときにそれを親に相談できなかった。立派ではなくなるからである。頑張ることに疲れて自殺を選んだのだった。

「ギャンブル依存」に陥った大学生。
高校までレールを外れることが出来ない優等生だった。郷里を離れたとき、「ギャンブルをするな」という父への反発から始まったパチスロだった。そして転落の人生を歩み、勘当されて後やんだ。本人は無意識だが、父親の敷いたレールをたたきつぶし、自分の人生を取り戻したのだった。

「恋愛依存」になった女性。
父親の支配から逃れるためだった。

「統合失調症」になった青年。
反抗期のない子だったと母親は言う。強大な支配する父親の下、反抗できるはずもなかった。操られるままに生き、そして初めて持った意志をたたきつぶされたとき統合失調症が発症した。

「性同一性障害」に悩む女性。
父親は化粧もせずジャージ姿でひきこもって、となじった。父親は一言も「男の子がほしかった」と口にしたことはなかった。が、子は全てを知っていた。そして…父親の望み通りに育ったのだった。

「発達障害」に悩むニート。
厳しい父は「お前はダメだ」というメッセージを送り続けた。守る母は「私がいないとお前はダメだ」というメッセージを送り続けた。迫害者の父と救援者の母。この2人のゲームを続けるために子は道具にされた。両親から発せられていた「大人になるな」という禁止令の通りに子は育ちニートになったのだった。

「ゆっくりできない」青年。
社会的には成功している。でも落ち着けなかった。彼の中に「努力せよ」と駆り立てる父親が棲んでいた。彼は無条件に父親に愛されたかったのだった。

「DV」をするようになった男性。
家族モデル、夫婦モデル、親子モデル−子は親から学ぶ。彼にとっての夫婦関係は支配と服従の関係だった。恋人時代は発症しなかったが、夫婦という関係になって1ヶ月後に発症した。

「生きづらさ」を抱える青年。
生まれて以来「個室で孤食」という青年。彼にはモデルがなかった。父親は会社に引きこもり、生きる姿が分からなかった。

「モラハラ」が発症した男性。
人は自分がされたことを人にする。人を道具扱いする会社に洗脳され、結婚して7年後に妻を道具扱いするようになったのだった。

父親にフォーカスしただけでもまだまだあるが、この辺にしておく。いかがだろうか。
諸相様々に見えるが実は共通点が一だけつある。

それは、父親が妻や子の「気持ちを聴いていない」ことである。
相手の気持ちを聴かずに押しつけることは、たとえそれがよかれと思ってやっていることであっても、それは相手を自分の道具にしていることなのだ。まして、人を道具にし始めパワハラが横行するようになった会社にあって、男性の感受性はどんどん摩耗している。

かつて父親は家庭の「背骨」だった。
豪族やサムライの時代、「家政」は男の仕事だった。背骨のある家庭が連なって地域を作り、地域が国を支えていた。つまり、家庭は国の背骨だったのである。しかし、家庭から父親という背骨がなくなったために、家庭が自律できなくなり多大な社会的コストが発生している。子育て、教育、離婚、障害、介護…そして、非婚、ワーキングプア。つまり、今や日本という国では、「普通の生活」が出来なくなりつつあるのである。


モラルが崩壊し、普通の生活が出来なくなり…この危機的状況を打開する道は、1つしかない。
「気持ちを受け止める」ことの重要性を認識することだ。

私が、1000に3つもないと言われる組織改革を成功させることが出来たのは、気持ちを受け止めることにより敵対組織の手を組ませ、抵抗勢力を味方にし、そしてPJメンバーと信頼関係を構築したからである。また、ヘビーな問題を抱えた家族関係の修復をご支援できるのも、一人一人の気持ちを受け止め信頼関係を築いているからである。

私は、「会社」及び「家庭」という両組織で、気持ちを受け止めることを実践し、その強力な効果を実感してきた。
私は、自分が得たものをどんどんフィードバックしていきたいと思う。
そういう場を提供下さり、また、志を同じくする仲間と巡り会えた日本家庭生活研究協会には、深く感謝申し上げます。

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